ストリートバスケットによる門戸拡大

同じ頃、バスケットボールの爆発的な人気は、屋内スポーツというジャンルでは収まらず、屋外で行うストリートバスケットの隆盛に繋がっていく。そして、部活動に所属する学生など、限られた人を対象にしていたバスケットボールの門戸が大きく開くことになる。

ストリートバスケットのルーツは、黒人のキッズたちがラッパーを真似たファッションを身にまとい、公園で楽しむアメリカの日常的な光景にあった。それがスリーオンスリーというスポーツに発展していったのである。

少人数の仲間、それとボールとゴールさえあれば、どこでも誰でも楽しめる。そうした遊びから生まれたスポーツは、バッシュの存在意義をよりカジュアルなものへと変えていった。

汚れの目立たない黒ベースのアッパーやソールも増え、体育館ではない固いコンクリート上でのストップ&ジャンプを想定した、ストラップやトラクション性能を高めたソールが機能に加わるなど、ストリートにマッチした要素がシューズに備わっていった。また、逆にそれまで白が主流だった室内のバスケットボールに影響が出始め、NBAだけでなく、日本の部活動でも黒ベースのバッシュ着用率が急速に高まることになる。

ストリートバスケ人気と共に、環境にマッチした要素がシューズに備わっていった(写真提供:写真AC)

そうしたアウトドアマーケットの開拓に、リーボックは早い段階から乗り出していた。

ストリートバスケットに莫大な予算を投じ、オフコート専用の「ブラックトップ」コレクションを発表。これは名前の通り黒を基本色としたことで、バスケットマン以外にも人気を博した。またリーボックは自ら、ストリートバスケットの大会を日本各地で主催し、そのイメージを植え付けることに注力した。さらにNBA屈指のビッグマンで、マイケル・ジョーダン世代のスター、パトリック・ユーイング自身が手がけるユーイング アスレチックス、またフィラなどもストリートバスケへの参入に積極的な姿勢を見せた。

ナイキは1992年、アウトドア専用のバスケットシューズ「エア レイド」を発売し、大々的に宣伝した。テーピングから着想を得たクロスストラップがそのアイコンで、ヒールとソールには「FOR OUTDOOR USE ONLY」の文字が施された、スニーカーの歴史でも傑作とされる一足だ。

この思想は1993年リリースの「エア ジョーダン 8」に転用されるが、さらにその翌年の「エア ジョーダン 9」には、初めて黒ソールが採用されるなど、アウトドア寄りの姿勢も見られている。