五木 『気がつけば、終着駅』の「クサンチッペ党宣言」ではご主人のことをお書きになってましたよね。60年代にあのような夫婦観を書かれたのは時代を先取りしていて痛快でした。その前に書かれた『ソクラテスの妻』は、芥川賞候補になりましたよね。そして、ご主人の借金騒動を描いた『戦いすんで日が暮れて』で、直木賞をお受けになった。あれが確か69年。
佐藤 もう、ずいぶん昔のことです。
五木 こうやってお話ししていると、佐藤さんとは共通の知人がいっぱいいますね。最後に会ったのは野坂昭如さんの告別式でした。
佐藤 残念ながら、親しかった人で、今も生きている人はいませんねえ。
五木 皆さん、回想のなかには生きていらっしゃる。
佐藤 そういうことでしょうかね。
軍国日本の歴史と一緒に流されて
五木 実は佐藤さんにお会いしたらぜひ伺いたかったことがありましてね。僕はこの歳でも、「まだ生きたい」と思っている。何か面白いことはないかと、野次馬根性があるので。
佐藤 それはすごいですねぇ。
五木 たとえば、新型コロナのパンデミックはこの先どうなっていくのかとか、東京五輪はどうなるかとか。そういう俗な好奇心で、「これを見なきゃ」という感じがあって。
佐藤 五木さんがお若い証拠ですよ。私も昔は好奇心の塊でしたけど、97にもなるとね。もう世の中の価値観が私とは合わなくなったと感じます。
五木 いやいや、僕は佐藤さんがお書きになっているものに、すごく共感した言葉がありましてね。『気がつけば、終着駅』の「前書きのようなもの」でこの50年を振り返って、「私も流されて来ている」、と。
佐藤 この50年でずいぶんと日本人は変貌してきた、同時に佐藤愛子も変化している、と書いたくだりですね。
五木 僕は『日刊ゲンダイ』で創刊以来、45年間ずっとコラムを書いてまして、その題名が「流されゆく日々」というんです。かつて石川達三さんが、「流れゆく日々」という連載をお書きになっていた。時代はどんどん流れていくけれど、オレは岩のように流されないぞ、と。僕は石川さんをすごく尊敬していたけれど、自分はゴミと一緒に海に流れていこうというつもりで「流されゆく日々」にしたのです。
佐藤 そうでしたか。
五木 僕は他力主義なので、仕事がうまくいった時はみんな人さまのおかげだと思い、うまくいかなかった時は他力の風が吹かなかっただけだ、と(笑)。だから失敗しても気に病まずに生きていけるのです。佐藤さんの「時代の流れが面白い」という文章を読んで、こういうことを考えているのは自分だけではないんだと、すごく心強く思いました。
佐藤 私は五木さんのおっしゃる他力主義とは違うんです。どんなにがむしゃらに生きていたって、大きな時代の流れの中では流されざるをえない、ということなんですね。たとえば私が小学校に入った頃から満洲事変や日中戦争があって、女学校を出たらアメリカとの戦争が始まった。あの頃は、軍国日本の歴史と一緒に流されていきました。