新型コロナの「自粛警察」と隣組

五木 満洲事変は僕が生まれる前年です。生まれた年に五・一五事件があって、5歳の時に南京陥落の旗行列があった。子どもの時に歌っていた童謡が「僕は軍人大好きよ」でしたから。

佐藤 ああ、そんな歌もありましたね。戦争中のことで、思い出すと笑わずにいられないことがあるんです。藁人形を作ってルーズベルトとかチャーチルの名札をつけて、走っていって竹槍で「えいっ!」と突き刺していたでしょう。

五木 それが当時は、おかしくもなかったわけですから。

佐藤 私は、おかしかったですよ。なぜこんなこと一所懸命やるんだろう、と。どこかで客観的に見ている自分がいたのね。

五木 ふーん。年齢の違いかもしれませんね。僕のほうが9歳下なので。

佐藤 ははあ、五木さんは真面目な軍国少年だったわけですね。

五木 当時は批判精神なんてなかったですから。14歳から少年兵に応募できることになっていたので、絶対に応募する気でいました。

佐藤 少年航空兵の少年たちは、自ら進んで行ったんでしょうね。

五木 そうだと思います。当時、少年たちの憧れの存在といえば、加藤隼戦闘隊長とかでしたから。海軍の予科練、少年飛行兵(陸軍飛行学校)などいろいろあって、中学2年になったらどこでも受けられる。一日も早く軍人になってお国のために、と考えてました。

佐藤 世の中のありようによって、そういうふうに人間が作られてしまう、ということでしょうね。

五木 それは一朝一夕にできることではないですね。明治以来の忠君愛国主義みたいなものが、ずっと積み重なってきてのことなんでしょう。

佐藤 防空演習は、毎日のようにやらされました。ご近所に林長二郎さんという方がいらしてね、長谷川一夫さんともおっしゃった当時の大スターですけど、この方の奥様が町内の防空演習のリーダーをやってらした。奥様、お元気な方で、朝の8時に「集まれ」と叫ぶんです。しょうがないからモンペはいて出ていくと、町内で戦争ごっこみたいな訓練をやらされるの。私は伝令の役で隣町まで駆けていって、「敵機は今、御前崎に侵入」とか言うんですけど、一人で走りながら内心おかしくてねぇ。みんな大真面目なのが。

五木 僕は子ども心に、隣組というのがイヤだったなぁ。地域のボスみたいな人が組長をやっていて、夜中に見回りにくるんですよ。電灯の明かりが外に漏れていると、すごい勢いで怒鳴りこんでくる。

佐藤 そういう時代でしたね。

五木 だから今回の新型コロナで、他人の行動に厳しく意見する「自粛警察」みたいな現象が出てくると、つい戦争中の隣組を思い出してしまうんです。反射的に「とんとんとんからりと隣組」なんて当時の歌の歌詞を思い出してしまったりして。

佐藤 五木さんとは感じ方はそれぞれだけど、同じ時代を生きてきたのですね。