ハチローの歌は、なぜか記憶に残る
五木 大先輩にこういうことを申し上げるのは僭越ですが、佐藤さんの『気がつけば、終着駅』を拝読して、新しいものと古いものを両方一度に読めるというのはじつに面白い体験だと思いました。
佐藤 まぁ、嬉しい。1960年代に書いたものから最近のものまで、いろいろ入っているんですよ。
五木 僕の友だちだった人の名前が、何人も出てくるんです。中山あい子さんとか。
佐藤 中山さんは大好きでした。お親しかったんですか?
五木 僕は『小説現代』の新人賞の第6回受賞者なんです。第1回受賞者が中山あい子さんでしたので、いろいろ親切にしていただいて。
佐藤 あぁ、そうだったんですね。
五木 月に1回、作家の集まりがあって、いろいろお話ししたり、食事をしたり。作家として、本当に面白い生き方をしている方で、現代の鴨長明みたいな方でしたね。
佐藤 あの人は、女丈夫ですよ。人間が大きくてね、細かいことは気にしない。中山さんに死なれて、本当にがっかりしました。
五木 佐藤さんのご本が回想の入り口になり、僕自身の60年代を思い出したり。僕は若い頃、童謡の作詞の仕事をやっていましてね。当時の仲間に、童謡の詞を書いていた吉岡治さんという貧乏な詩人がいた。
佐藤 あぁ、吉岡さん!
五木 彼の一番の矜持は「僕はサトウハチローの弟子だ」ということでした。売れない童謡をせっせと書いていた人だったのに、美空ひばりの「真赤な太陽」で突然売れて。あれよあれよという間に歌謡曲の売れっ子作詞家に。石川さゆりの「天城越え」も吉岡さんですよね。
佐藤 兄のハチローは、吉岡さんは童謡を書くべきなのに流行歌を書き始めたって。そう言って破門にしたんですよ。
五木 へえ。それは知りませんでしたね。昔、吉岡さんにアパートによんでもらって、奥さんに手料理をごちそうになったことなど思い出します。