「書いていないと、ほかにすることがないんですよ。外に出るのはあまり好きではないし、家でじっと庭ばかり眺めていても、ろくなことを考えない。われわれの先輩の作家たちは、いつやめるかというのをどうやって見極めたのか。」(佐藤さん)

佐藤 吉岡さんも、ハチローには苦労なさったでしょう。なにせ、わがままな人ですから。

五木 サトウハチローさんの作詞の歌は、なぜか記憶に残るんです。「星野貞志」の名前で書いた「うちの女房にゃ髭がある」。あれなんて、言ってみればウーマンリブの歌ですから。(笑)

佐藤 あら、五木さんがご存じとは思いませんでした。昭和初期の歌ですよね?

五木 子どもの頃、家で宴会があると、親父が茶碗叩きながら歌っていましたよ。戦後すぐのハチロー作詞といえば「リンゴの唄」をあげる人が多いけれど、僕は藤山一郎が歌った「夢淡き東京」(古関裕而作曲)が一番好きだったなぁ。

佐藤 あれは、メロディがいいんじゃないですか?(笑)

 

作家・佐藤紅緑の「仕事のやめ時」は

五木 いやいや、歌詞もよかったです。当時僕は九州の田舎にいて、あの歌を歌いながら東京に憧れたものです。それと僕は子どもの頃、佐藤さんのお父さんの佐藤紅緑先生の作品をすごく愛読していたんですよ。

佐藤 まぁ!

五木 『あゝ玉杯に花うけて』とか『夾竹桃の花咲けば』などの少年小説を、小学生から中学生にかけて夢中で読んでいました。

佐藤 五木さん、そんな年代でいらっしゃいますかね。

五木 昭和7年生まれで、今88歳です。軍国主義の時代ですから、学校の先生は小説なんか読んではいけないと言っていました。でも佐藤紅緑だけは、いいだろう、と。飢えた子どもが水を飲むように、読みふけりましたね。今の子どもにとっての『鬼滅の刃』みたいなものかな。