イラスト:小林マキ
「墓は絶対別にする」。そう思うようになったのは、結婚してすぐ。そしてその気持ちは年々強まった。夫の不甲斐なさ、マザコン体質、優柔不断……、なにもかもが嫌になったが、43年離婚はできず──。せめて死んだあとぐらいは自由にしたい。私たちが最後に選ぶ、骨をうずめる場所とは

嫁いだ先の墓は、知らぬ間に山の上へ移転

結婚して43年。この数字を見るだけで、ため息が出る。とうとう離婚もせず、というよりできずに、ずるずるとここまで来てしまった。もうこうなったら、夫と離れられるのは死んでからになるだろう。骨になったときぐらい自由になれなければ、自分がかわいそうというものだ。

「墓は絶対別にする」。そう思うようになったのは、結婚してそれほど経過していない頃からだ。そしてその気持ちは年々強まった。夫の不甲斐なさ、マザコン体質、優柔不断……、なにもかもが嫌になったが、離婚はできず──。

夫の家の墓はもともと、実家のすぐ隣の山を登ったところにあった。結婚当初は、あまりにも辺鄙な場所で驚いたものだ。特に夏は虫が多いので、虫よけスプレーが必需品。雨でも降ろうものなら足場はぐちゃぐちゃ。行きも帰りも大変な思いでお参りするのだ。

だが幼い頃からおばあちゃん子だったからだろう、お墓を大事にすること、先祖を敬うことは大切だ、と理解していた。だから、田舎にある夫の実家の決まりごとの多さや、盆暮れの住職への挨拶・供え物など、こまごまとあるこの土地の風習にも、当たり前のこととして従ってきた。

ところがつい最近、この墓が自宅から高速道路を使って2時間以上かかるところに移されたとを、初めて聞かされたのだ。なんでも寺の住職が代替わりをした際、檀家である夫の実家と揉めたらしい。新しい住職と、長男で墓守の夫の間で折り合いがつかず、ついに裁判に発展し、結果、墓を移転せざるをえなくなったという。私が知ったときは、すでに移転して数ヵ月も過ぎていた。まぁだからといって、特に言いたいことはないのだが。

墓の移転先というのが、また別の意味で辺鄙なところだ。山を切り崩した駐車場に車を停め、すれ違うのがやっとの狭く長い急な石段を上った先にある。見晴らしはよく、まるで天空に浮かぶ墓のよう。だがそれまでの環境から一変、墓が左遷されたようで、複雑な気持ちになった。