「息子の芸能界入りについては、諸手を挙げて賛成というわけではありませんでした。僕はたまたまヒット曲に恵まれたけれど、そんなに甘い世界ではないから」

息子たちは僕の誇りです

――80年に女優・大原麗子さんと結婚。82年、「冬のリヴィエラ」(松本隆作詞、大瀧詠一作曲)を発売、ポップス系のファンも獲得。86年に再婚した歌手・森昌子さんとの間に3児をもうける。2度の離婚、闘病を経て、デビュー50周年を迎えた2015年、『紅白歌合戦』のトリで「おふくろさん」を披露(以降の出場辞退を発表)。その後も舞台やステージで活躍を続ける。


僕は弟の死も経験しています。11年、ハワイ公演の帰国直前、闘病中だった弟が亡くなったと連絡が入りました。家族には僕の帰国を待ってもらい、羽田空港に着いた足で向かって通夜と告別式に出席。かつて僕が働いてお金を仕送りしていたので、弟が医学部に行った時は嬉しかった。その自慢の弟との別れもつらかったです。

母の死後、いろいろと悩んでいる時に、誰かにもらって家にあったショーペンハウアーの哲学書を読んでびっくりしました。「正義が大事」と考えてきた自分を肯定してくれる言葉の宝庫だったのです。ここから哲学書にハマり、思想家・安岡さんの本などを現在に至るまで繰り返し読んでいます。

生きていくうえで、正義が大事なのは真理だけれど、それ以前に人間力が必要とも思っています。いずれにしても一筋縄ではいかないのが人生――といった話を、息子たちに会った時に説いて聞かせるのですが、伝わっているのかどうか。「お父さんがまた理屈っぽいことを言い出した」と思われているのではないでしょうか。(笑)

もっとも、僕が貧しい生活環境で1から積み上げてきたとしたら、両親が歌手で、いろいろなものが手に入る時代に育った息子たちは、7くらいから始めているわけで、何かと要領がいいんですよ。