『ガロ』に漫画が載ることが夢だった。右から林静一さん、水木しげるさん、末井、左端はつげ義春さん(『ガロ』のパーティー 1982年)

自衛隊体験入隊なんて寝耳に水

3ヵ月経った頃、新入社員は自衛隊に体験入隊させられるという話を、職場の先輩から聞きました。軍需産業に関係している関連会社があって、その関係で新入社員全員が体験入隊させられるというのです。寝耳に水です。高校にきていた会社案内には、そんなことは書いていませんでした。配属先が決まった時から、会社を辞めたいとは思っていたのですが、この自衛隊体験入隊の話で踏ん切りがつきました。

辞めるにはいろいろ手続きが必要ですが、絶対引き止められると思い、逃げることにしてその計画を練っていました。逃げる日は、寮のみんなが食堂で夕食を食べている間に、布団袋に布団と身の回りの物を詰め込んで、それを担いで寮を抜け出し、鈍行の電車で川崎へ向かったのでした。

その頃、父親が出稼ぎで川崎のトラック工場で働いていたので、父親のアパートに転がり込み、父親が働いている工場の正社員になりました(ちょうど募集していた時でした)。生産ラインを流れるトラックの車体を1週間に1台抜き取って、図面通りにできているか測定する精密検査室に配属されました。先輩と2人だけの職場で、先輩は前にテキ屋をやっていて、その頃のことを楽しそうに話してくれました。全国のお祭りや縁日の日取りが網羅してある「お祭り手帳」をいつも持っていて、その手帳があればいつでもテキ屋に戻れると言っていました。いつも仕事を早く終わらせて、2人でよく昼寝をしていました。

精密検査室は生産ラインの端にあるガラス張りの部屋で、計器が狂わないように冷暖房完備になっていました。部屋の真ん中には、トラックの車体を置く大きな定盤が置かれていて、その下に人が入れるくらいの空間がありました。そこに入ると外から見えないので、格好の昼寝の場所でした。

仕事は楽だったのですが、一生続ける気にはなりませんでした。漫画家になりたい気持ちはまだ残っていて、月刊漫画誌『ガロ』に載ったつげ義春さんの漫画を読んで、自分もつげさんのような漫画を描きたいと思っていましたが、やはり「生活できない」ということがネックでした。