〈もう放念してください。そんなふうに思われているとはつゆ知らず、相談してしまいました。これからすぐに解決に向けて動きます〉
と送ったものの、毒づきながらもけっこう心配する娘だ。突き放し過ぎたかもと心配になり、さらに返信した。
〈息子の件は、私ひとりで解決します。キレやすい面と、気弱な面がミックスして、安定しない子ですが、四ツに組んで真剣に向き合います。安心してくださいね〉
ひもじさに苦しんだ子育て
たしかに私はお気楽に考えていた。長らく会っていないのに、娘は私のことを見透かしている。でもいったん「四ツに組んで真剣に向き合う」と言葉にすると腹が決まり、もりもり力が湧いてきた。若い頃、修羅場をくぐってきた私は強いのだ。
だがこれで、「あ、そう。放念するわ」というような単純な娘ではない。今度は「ちっともわかってない」と言われるだろうか。
娘の夫が首を突っ込んだ途端、おかしくなることだけは紛れもない。思えばいつもそうだった。どうして娘は夫に話すのか。弟のことは自分の胸に収めておけないものなのか。私は今後についての諭し方について相談しただけなのに。
私が22歳で娘を授かった時、私たち親子のお金に不自由する人生が始まった。貧しさを克服しようと努めても、夫は勤め先の東京でお金を使いまくり、給料日に家に何も持ち帰らなかったことが何回もある。息子がお腹にいた時も私は、ひもじさに苦しんでいた。その後夫とは別れたが、とにかく子どもを飢えさせず、食べさせることだけでせいいっぱいの日々だった。
娘もしんどかっただろう。こんな娘になるまでには長い長い道筋があったのだ。