「これはママにも初めて言うけど、医師が帰ったあと一人で泣きました。57歳の男が、情けない話だけど。」(真さん)

医師が帰ったあと一人で泣いた

 31日に電話で医師と話せて、翌日に往診していただいたんだけど、答えは救急隊員の方と同じで。その時の絶望感といったら……。

俊恵 私も、何もしてあげられないのが本当にもどかしかった。

 これはママにも初めて言うけど、医師が帰ったあと一人で泣きました。57歳の男が、情けない話だけど。

俊恵 熱に関しては、解熱剤の効果によって3日ほどで一時下がったものの、息ができない状態がずっと続いて、パパはずっとコロナと闘っていた。

 苦しくて、ほとんど眠れなかったよ。とうとう8月4日にメーターの数値が90%になった。再び救急車を呼んでもらったけど、やっぱり80%台じゃないから搬送できない。数値が1つ足りないだけで命の線引きがされてしまうのが、恐怖でしかなかったな。

俊恵 ところが5日になって、突然保健所から連絡が来て……。

 「病室が空いたので入院できますが、どうしますか?」と言われて「入院します」と返したら、「準備するものを言いますからメモしてください」って。そんな体力はないから、「妻に電話してください」ってママのスマホの番号を教えたの。

俊恵 私が保健所の方と話したのは、その時が初めて。その日のうちに迎えが来て、荷物を持ったパパが歩いて車の後部座席に乗り込むのを2階の窓から見てた。痩せ細った、ヨボヨボのおじいちゃんみたいな姿が本当にかわいそうで……。しかもパパの部屋を片付けようとしたら、ペットボトルのゴミが分別されていて、ラベルもきちんとはがしてあって。病気の時までちゃんとしなくていいのに……。

 普段、厳しく言われてますから(笑)。病院に着いてCTスキャンを撮ったら、肺が真っ白だった。すぐに点滴を3本刺されて、鼻からの酸素吸入を開始。その後、口からの酸素吸入も始まって、一日6リットルの酸素を入れるようになったんだ。初日から絶対安静で、トイレにも行けない状態だったな。