あきらめの検証
数ヵ月前、10年以上疎遠だった友人から連絡をもらい、とても嬉しい気持ちになった。遠方在住者だったので、互いの近況報告を交えたやりとりのあと、「元気でね!」でメールが終わった。
終わった、と私は思っていた。しかし数日後にまたメールがきて、そこには「近々東京へ行くことになった」とあった。
ならば時間を作って久しぶりに会いましょう、となるのが自然の流れ。しかし、私はそれを望まなかった。彼のメールでは、なぜか「私が彼に会いたがっている」という前提で話が進んでいたからだ。
私は面喰らった。「会えたらいいね」といった軽口すら、私からは叩いていない。相手も会いたいそぶりなど見せていなかった。なぜ、数日の間にそういう解釈になったのだろう。
ちょうど繁忙期だったのと、なんだか不気味だったのもあり、私はのらりくらりとかわした。それでも相手はあきらめず、しかし自分が私に会いたいのだとも言わず、堂々巡りになったので返信するのをやめてしまった。
数週間後、今度は留守電にメッセージが残されていた。どこで私の携帯番号を手に入れたのだろう。明らかに会いたがっているのは彼のほうなのに、メッセージの内容は「都内のどこどこに滞在している」だけだった。当然、折り返しはしなかった。
考えてもみてほしい。10年以上音信不通だった人が「あなたが私に会いたいのなら」と何度も連絡を寄越してくるのだ。恐怖が募って然るべきだろう。
なんとかして携帯番号を手に入れる努力はするのに、「会いたがっているあなたのために時間を作る」というアプローチが正しいのかの検証を怠っている。あきらめが悪いなあ、と思った。
久しぶりに会おうよ、と言われていたら、私は時間を作ったに違いない。上から目線かもしれないが、私の反応が芳しくないのなら、やり方を変えればいいのに。それとも、私の反応が悪いことにさえ気づいていないのか。
自分からは会いたいと言わぬまま、メールも電話もこなくなり、私はホッと胸をなでおろした。
そして今日、私は気づいてしまったのだ。インスタグラムで彼が私にメッセージを送ってきていたことを。
アプローチは変わらぬまま。それはさすがに、あきらめが悪すぎるでしょう。
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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇