普通のことを一生懸命やれば通じる
「家にやってきて1週間もたてば、多くの子は落ち着いてきて、台所で料理を作っているとそばに来て、学校で起きたことを話してくれるようになります。すりむいたと言えば絆創膏を貼り、虫に刺されたと言えば薬を指で塗ってあげて。どこの家庭でもあることでしょうが、子どもは喜ぶのね。学校に行くときは玄関の外に出て、通りを曲がるまで見送ります。すると何度も子どもが振り返る。それがかわいらしくて。息子と同じように、普通のことを一生懸命やれば通じるんですね」
青葉家にはときどき、夫婦のもとから社会に出た10人ほどが集まる。3人の子の父親になったK君も妻子を連れて参加する。食事どきになるとやよいさんは、みんなにそれぞれの箸を差し出す。青葉家にいたときに使っていた箸だ。「あ、俺の箸」と見つけた子は驚くが、「青葉のおかん」のところには、いつもマイ箸があるという嬉しさ。ひとところで育てられた経験のなかった子は、ここで暮らしていた確かな思い出を呼び起こされるのだろう。
「『おかん大丈夫か』と気にかけてくれるのは、息子より大人になった里子たちですね。昔は『くそばばあ!』と言われてムッときたこともありましたが、今は、いいわよ、本当におばあちゃんだもん、と。里親も年取って、里ジイ、里バアでいいじゃないですか。これからは」
子どもは家庭の中で育つほうがいい。そう思う人は多いだろう。でも里親の数は微増にとどまっているのが現実だ。そこには血のつながりを重んじ、親が子どもを抱え込む日本的子育てが壁になっているのではないかと、やよいさんは言う。
「里親に向いていると思われる人でも、里子はちょっと、と断られます。他人の子が入ることで水入らずではなくなると思っているのでしょうか。でもハリウッドスターのように、人種も違う子どもたちを里子として構えることなく育てる世の中になればいい」