中央がタカ子さん。夫の正さん、娘の誉子さんは1歳になったばかりの里子を抱っこして(撮影◎本社写真部)
毎年10月は里親月間。2021年10月も、里親制度を知ってほしいと、厚生労働省が中心となり大規模なキャンペーンが展開されていました。親と暮らせない子どもを迎えての毎日には思いがけない出来事が起こる一方、深い喜びもあるという。里親家族をたずねた(取材・文◎樋田敦子 撮影◎本社写真部)

妊婦と赤ちゃんの駆け込み寺は三代里親

養育里親になるための認定要件は、2018年に改正された。それまであった年齢の上限がなくなり、里子を預かる居住環境も家族構成に合わせたものに。また、配偶者がいなくても里親になることができるようになった。

里親は研修後に登録し、児相を通して紹介された里子を預かる。養育里親が預かれるのは4人まで。さらに定員6人までの「小規模住居型児童養育事業(ファミリーホーム)」は、全国に417カ所ある。いずれも大規模な施設ではなく、家庭的な雰囲気の中で育てていこうという場になっている。

「もう身体はガタガタよ。子どもをずっとおんぶしていたんで、背骨がつぶれているし、がんもやったからね。でも、子どもがいないと元気がなくなっちゃうの。この前も夫と出かけた北海道旅行で、のんびりすればいいのに、この景色を子どもたちに見せたい、と思ってしまって」

74歳になる廣瀬タカ子さんはそう話す。20年ほど前から、全国里親会のシンポジウムに登壇する時も、「ファミリーホームを全国に」という運動を展開していた時も、ホームにいる乳児を背負って参加した。割烹着がトレードマークの肝っ玉母さんだ。廣瀬さんらが尽力して、複数の里子を預かり、里子同士がきょうだいのように育つファミリーホーム制度の設立にこぎつけたのだ。

里親になって30年ほど。でも里子とともに暮らすのは幼い頃から。タカ子さんの父親も里親だった。

「戦中派の人だから『子どもは国の宝』で、特に男子をかわいがりました。子どもの頃はなぜ里子ばかりかわいがるのかと反抗していたのに、私も里親になりたいと漠然と思うようになったのです」