吉行淳之介さんに灰皿を差し出され

本の冒頭に登場するのは、吉行淳之介さんです。吉行さんは都会的でカッコよく、当時、銀座の文壇バーでものすごくモテてらした。私にとっては憧れの存在で、フリーの雑誌記者になった時、真っ先に会いに行きたかった方でした。

初めてご自宅に伺った日は、取材日と決めていらしたのか、次々といろいろな方がみえて賑やかでした。私は初対面なのに物怖じもせず、ちょっぴりはしゃいで楽しく過ごした覚えがあります。

『銀座で逢ったひと』(著:関容子/中央公論新社)

取材した内容を原稿にまとめ、お見せしに行った先は帝国ホテルの部屋。執筆に専念するため、いわゆる「缶詰」の状態でした。一対一ですし、さすがに緊張してドキドキ。汗をかいたのでハンカチを出そうとバッグを開けたら、たばこを取り出すと思ったのでしょう。繊細な手で、すっと灰皿を近づけてくれたのです。思わず、「なんて細やかな!」と感激しました。

初めて取材をした歌舞伎役者は、十七代目中村勘三郎さんです。私はどうしても十七代目の聞き書きをしたいと思い、ある日、京都南座の楽屋を突撃。なかなか気難しい方だと聞いていましたが、信用を得ることができ、私の歌舞伎界への門が開かれました。

十七代とは、銀座のコーヒー専門店や蕎麦屋によくご一緒したものです。蕎麦が来ると、テーブルの下をちらと覗いて、「この脚をちょっとずつ切って、も少し低くするといいね、蕎麦をたぐり上げるのに、そのほうがきれいに決まる」。いかにも役者の意見だと感じました。