「報道」と「経営」のはざまで

テレビの世界でも新聞の世界でも、「報道」と「経営」の距離はきわめてセンシティブな関係にある。

『筑紫哲也 「NEWS23」とその時代』(著:金平茂紀/講談社)

「経営」の論理は、私企業の場合は、利潤追求がまず最優先され、NHKなどの公的企業体の場合でも、組織の維持・生存がまず考慮される。一方の「報道」の論理は、公共的な利益に仕える=国民の知る権利に資するために、時には自分の属する組織にその刃が向くことさえある。

『筑紫哲也NEWS23』でも、この「経営」と「報道」の論理が激しく衝突したことが何度かあった。たとえば1996年のTBS・オウム事件の時がそうであり、2005年に楽天がTBSの株式を大量取得して経営統合を申し入れた敵対的企業買収事件の際の自社報道もそのケースだった。

それ以外にもあまり世の中には知られていない「経営」と「報道」の論理が火花を散らしたケースがあった。そのたびに、時の経営陣と番組の顔であるキャスターとの関係が緊張した。

キャスター本人はそういう生臭いことをあまり語りたがらないものだ。なぜならば、そこではあまりに人間くさいドラマが赤裸々に展開されるからだ。経営陣とキャスターとのケミストリー(いわゆる相性の問題)という語りにくい点だってもちろんある。