最大の危機
この当時『筑紫23』はようやく軌道に乗り始めて、久米宏さんの『ニュースステーション』(テレビ朝日)と競い合える地位に定着しつつあった。
そんななかで、『筑紫23』はすでに「日本が危ない」と銘打った特集シリーズを放送するなど、今から考えると実に先駆的なことだったのだが、バブルに浮かれる日本のありように対して〈警告〉を発するような特集を放送していた。
この企画は筑紫さん本人からの提案だったという(当時の辻村國弘デスクの証言による)。僕のかすかな記憶では、バブルの絶頂期を象徴する東京・芝浦のディスコ(当時はまだクラブというような言い方はされてなかった)・ジュリアナ東京のお立ち台にまで、筑紫さん本人が上がって「現場取材」に行っていたことを覚えている。
ジャーナリストには2つのタイプがいる。時代と「添い寝」する型と、そうではない反俗的な姿勢を貫くタイプ。筑紫さんはどちらかというと「添い寝」型だった。
だからこそ、バブルがはじけた後、企業や日本が浸っていた「空気」に向ける批判は、バブルの実態を体で知っているだけに、より根源的=ラディカルにならざるを得なかったのではないか。筑紫さんがお立ち台に上がったのは、バブル崩壊後の荒涼としたなかでのことだったと思う。
しかしそんな中で、国民注視の損失補填先リストにTBSが含まれていたことが判明。野村、日興証券から計6億5000万円の補填を受けていた。中小企業や一般株主にはない大企業優遇の一種の「裏契約」であり、犯罪ではないが法的に問題があるばかりか、倫理的、社会的な批判の対象となるケースであることは明らかだった。何よりもTBS自身が、バブル期の証券会社や銀行の不透明な商行為を鋭く批判していたのだった。
ジャーナリストの嶌(しま)信彦氏は、生前の筑紫さんにこの日のことを直接取材している。
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「損失補填問題は、番組にとっても、僕にとっても、過去のなかで最大の危機だったと思いますね。僕は番組のスタート時から“君臨すれども統治せず”の方針も貫いてきたけど、あのときだけは番組の姿勢について“指揮権”を発動しようと思いました」。―『ニュースキャスターたちの24時間』(著:嶌信彦/講談社+α文庫)
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引用したのは筑紫さんの言葉だ。