今後、もっともらしいことを言っても信用してくれない

ほかにも『ニュースキャスターたちの24時間』には大揺れに揺れた当時のTBS内部のエピソードがいくつか記されているが、僕が個人的に一番興味を抱いたのは、損失補填先リストにTBSが載っていることを知った筑紫さんが、その日の午前ただちに出社して、まず最初に志甫溥(しほひろし)常務(当時)と面会して話をしたことだ。

突発の災害や事故などを除いて、筑紫さんが自らの意思で午前中に会社に来ることはめったにない。深夜の放送が終わって反省会のあと帰宅し就寝するのは午前3時以降になる。志甫氏は筑紫さんにとっては政治部記者時代からの長いつき合いがあったばかりか、TBSに「移籍」するにあたって秘かに尽力してくれた信頼できる一人でもあった。

志甫常務から聞かされた会社の状況は深刻だった。夏休みに入って軽井沢に滞在していた田中社長は、この緊急事態においても帰京する意思がないことがわかった。その後、筑紫さんは報道の大部屋に降りて行って次のように話したのだという。

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「僕は、TBSの人たちが今考えている以上に、状況は深刻で大変なことと認識しているけど、もっと危険なのは、わが番組のほうだと思う。この問題にきちんと対応できなければ、今後、どんなもっともらしいことを言ったって、見る人は信用してくれないだろう。とにかく、こんなことはいいことではないと、はっきりしているんだから、そのことは番組できちんと言いたいと思う。この点は、社の方針が多少決まっていなくても、私はこのスタンスでいきますからね」筑紫にとっては、番組と同時に自らのジャーナリストの存在価値にかかわる問題でもあった。(中略)TBSトップには、違法ではないし、多くの大企業がやっていことではないかという思いもあってか、当初は態度が煮え切らなかった。しかし、筑紫は、組織としてはっきりとした結論をまだ導き出していないTBSに対し、「ニュース23」に関しては“見切り発車”で発進することを宣言したのである。―『ニュースキャスターたちの24時間』(著:嶌信彦/講談社+α文庫)

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実は「最大の危機」はこの時ばかりではなかったのだが、筑紫さんにとっては第1回目の「最大の危機」となったことは間違いない。

※本稿は、『筑紫哲也 「NEWS23」とその時代』(講談社)の一部を再編集したものです。


「筑紫哲也『NEWS23』とその時代」(著:金平茂紀/講談社)

在りし日の筑紫哲也の姿を間近で見ていた著者が、関係者への膨大なインタビューをもとに振り返る。「頭をあげろ!」。世の中が混沌とする今だからこそ、筑紫の生き様はいっそう胸に響く