とにかく関西へ

TBS映像取材部(当時は単に取材部と言っていた)のあし刈一(あしかりはじめ)チーフ・デスクは、当時は入社4年目。どういう運命の巡り合わせか、1月17日は前日からの泊まり勤務明けだった。

「筑紫哲也 「NEWS23」とその時代」(著:金平茂紀/講談社)

午前5時46分の大震災発生の一報を受けて、これはとんでもない事態になったと直感した。東京から大量に取材陣を投入しなければならない。彼が最初にやったのは、現地にカメラクルーを送り込むため、とにかく飛行機便を押さえること、そしてヘリコプターを確保することだったという。

関西方面への飛行機の席を20席、そしてヘリを、会社が契約していた「朝日航洋」以外にも片っ端から押さえにかかった。彼はそのままぶっ続けで働き続けて会社に2泊し、そこから直接現地入りしたのだという。

調べてもらうと、何と1月17日当日のカメラ配置一覧表と、ヘリ発注一覧表が映像部に保管されていた。阪神淡路大震災関係のカメラ発注は26カメ、うち現地入りは14カメだったという記載があった。ヘリの方は全部で実に14機。当日の17時49分現在の記録だ。

そのうちのヘリの一機は「Jロイヤル」という会社名の記載があり、乗組員名に「筑紫キャスター・西村・金平・米田」とある。そうだったかなあ。ここで僕の頭が大いに混乱するのだ。自衛隊のヘリに乗ったんじゃなかったっけというおぼろげな記憶があるからだ。

西村とあるのは、西村武彦『23』ディレクター(当時)だろう。そこで彼にいてみた。彼は僕よりも記憶がちゃんとしていた。乗ったのは自衛隊機ではなく民間のヘリで、途中、静岡と津で2回給油して八尾空港に降りた。西村はそこから、陸路タクシーを雇って半日かけて神戸まで辿り着いた。彼は神戸出身で裏道をよく知っているという判断からそういう選択肢がとられたのだった。