御所内では、ご一家で大相撲の中継をご覧になることが多かった。愛子さまも皇太子と遊びで相撲を取られたことがきっかけで、相撲観戦をなさるようになったという。やがて、力士の四股名や出身地、番付なども覚えられるほどの相撲ファンに。
皇太子が公務で愛知県に行くと告げると「琴光喜のところ(出身地)?」と嬉しそうに質問されたり、モンゴル訪問時に「朝青龍や白鵬の国に行くよ」という言葉にご興味を示されたりした。
皇太子は、両殿下が子どもの頃に百人一首に親しんだことに触れ、愛子さまにも「七五調の言葉遊びが楽しめるようにと思っています」と希望されていた。06年の会見では「相撲をテレビで観戦しながら『だれだれに、星がついたよ、うれしいな』と七五調の文を作るなどしています」と、愛子さまの可愛らしいご様子を述べられていた。
海外へは、お友だちと行かれることを望んだ
学習院初等科に入学した愛子さまが、学校生活で困難と向き合ったのは、二年生の時だった。ある朝、「お腹が痛い」と学校を休むことになったが、雅子妃がよく話をお聞きになると、校内に乱暴な児童がいて登校するのが恐いという。「学校に行きたくても行けない」というつらさを抱えておられた。
東宮職と学校側の話し合いが続き、雅子妃が愛子さまに付き添って登下校なさるようになった。雅子妃は、11年の誕生日の文書で「与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした」と説明。実際に愛子さまが5ヵ月ぶりに学校へ行ける日も出てきた。
4年生になると、不規則登校はあと少しというところまで来ていた。雅子妃は、2泊3日の校外学習で山中湖村(山梨県)へ行くことに賭けた。お付き添いを決心されてメディアから批判を浴びたが、後に文書(11年)で、このことが「学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになった」と述べられた。
学習院女子中等科2年生の夏になると、愛子さまはほっそりされた。お友だちに痩せたことをほめられたのを機に、ダイエットをなさるようになったという。日を追うごとに過度に食事をコントロールされるようになり、ふらつきなどが見られて学校を長期欠席されるまでに。
雅子妃と食事の格闘もあったと言われたが、徐々に克服された。そんな心配を払拭したのが、中等科の卒業文集に寄せた「世界の平和を願って」という作文だった。原爆ドームをはじめて訪れた時のご感想などを書かれた内容は、実に素晴らしいものだった。