両陛下が下した異例のご決断
「敬宮(としのみや)愛子」というお名前には、天皇皇后両陛下の「人を愛し、愛されるような人間になってほしい」という願いが込められているという。
愛子内親王殿下は、成年皇族となられる前に、ご自分の名前の由来を改めて考えられたそうだ。それは、これまで両陛下が目指してこられた「国民を愛し、愛される」とも共通している。愛子さまは両陛下からの思いを受け継がれ、成年皇族として国民に寄り添いながら務めを果たそうと、期待に胸を膨らませておられるという。
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愛子さまは、2001年12月1日にご誕生された。皇太子ご夫妻(当時)にとっては、ご成婚から8年を経ての第一子だった。内親王だったことから皇位継承問題は課題として残ったが、両殿下にとって、大切な一つの命であることに変わりはなかった。
両殿下は、愛子さまを大切に育て守り抜こうと決心されたという。雅子妃は出産後はじめての会見で、「生まれてきてありがとうという気持ちで一杯に……」と涙ぐまれた。皇太子が思わずそっと雅子妃の肩に手を差し伸べられる仲睦まじいお姿には、こうしたお気持ちがあったと言われた。
雅子妃のご体調が最も悪かったのは、03年の頃だった。産後の肥立ちが悪く、子育てのお疲れも重なって適応障害となられたのは、愛子さまがまだ2歳の時だった。
「ご公務をなさることは無理でしたが、子育てならばできるはずだと頑張っておられました。それでも身体に力が入らずに起き上がれないこともあり、壁にもたれかかって、愛子さまを見守っていらっしゃいました」(元東宮職職員)
ある日、雅子妃が横になって休んでおられると、愛子さまが寝室に入って来て「いつまで寝ているんですか。早く出発しますよ~」と無気に外出をせがまれ、雅子妃が奮起なさったという微笑ましいエピソードもあった。
「雅子妃殿下は、愛子さまの子育ても加わってご体調を崩されましたが、愛子さまの存在に癒やされ、回復に向かわれていったのです」(宮内庁関係者)