日本の公的医療保険制度はかなり優秀
荻野 お金の心配で言うと、保険の入りすぎもよくないでしょうか。9年前にがんの治療を受けた時に抗がん剤が思ったより高額だったので、もともと入っていた保険に加えて「がんの人でも入れる」という医療保険にも加入しました。この保険料が毎月けっこう負担で。
常喜 日本の公的医療保険制度はかなり優秀で、少ない窓口負担で質の高い医療を受けることができます。病気や大きなケガで医療費がかかった時も、自己負担を一定額以下に抑えられる高額療養費制度もあるので、公的保険でおおむね大丈夫だと私は思っています。
大江 民間の医療保険は、いわば「差額ベッド代保険」なんですよ。つまり公的な医療保険でまかなえない、病院の個室料金、通院のためのタクシー代などを補うために入る。そもそも保険は「確率極小・損失極大」の事態に備えるもので、めったに起こらないけれども起きた時に自己資金では払えない金額をカバーするのが目的。ですから自分の貯金でまかなえるなら、わざわざ高額な民間の医療保険に入る必要はないのです。
荻野 うーん、一度契約内容を確認したほうがいいでしょうか。
大江 公的医療保険について私が心配しているのが、高齢化が進む中で終末期医療にどれだけ国の財源を割くかという問題。私自身は、自力で食べ物を摂れなくなった段階で延命治療はしないでほしいと思い、妻にもそう伝えています。
常喜 それはアドバンス・ケア・プランニング(ACP)といって、今後とても重要な課題になるでしょう。終末期にどのような医療を望み、どこでどんなケアを受けたいかを、ご本人を中心に家族や医療・ケア従事者が話し合っておくというプロセス。欧米ではすでに広まっていますが、日本では「縁起でもない」ということで、話題に出すのも難しいケースがまだまだ多いのです。
大江 医療と経済、両方の視点から議論をする必要がありますね。
荻野 ただ、最後の迎え方というのは個人差が大きいことじゃないですか。そこに社会の流れのようなものができてしまって、当人や家族が意思を表しにくくなるのは怖いことだと思います。
常喜 人と比べない、人の選択を批判しないというのは終末期医療にとても重要な視点です。
荻野 私の学問の師匠は、栄養点滴さえ拒否して消えるように亡くなりました。それに対してフランス系アメリカ人の父は、最後の最後まで生きる気まんまん。胃ろうも静脈栄養も「やりたい」と言い、口から食べる喜びを失っても、視覚と聴覚と触覚をフルに使って人生を楽しんでいました。
大江 どちらも、人として素晴らしい最後の迎え方ですね。
常喜 元気なうちに周囲に話していた内容と、いざ倒れてからの希望が「全然違う!」というのも非常によくあるケースです。でも変わってもいいから、今の時点で自分なりに終末期医療について考え、それを周囲に伝えておくのは大事なことだと思います。