ジャガーを「上がり成り」と名付けたその人

ちょうどこの頃、その後のジャガーにとってとても重要な出会いがあった。みうらじゅんさんだ。何もない状態からロックスターへと上り詰めた矢沢永吉の「成り上がり」にかけて、ジャガーを「上がり成り」と名付けたその人である。

1960年頃、高校生の時のジャガーさん。通っていた木更津第一高校では美術部だったそう(写真『ジャガー自伝』より)。

みうらさんは「HELLO JAGUAR」が始まった頃からジャガーの存在を知ってくれていたようで、出身校である武蔵野美術大学の数人の仲間たちの間で、話題になっていたらしい。しかし、当時のみうらさんの家では千葉テレビが映らないために、録画で観たのが最初だったのだそうだ。

やがて、奇しくもみうらさんが連載をしている雑誌「宝島」の読者投稿コーナーでジャガーがたびたび取り上げられるようになり、ある日、みうらさんがやっているラジオ番組に呼ばれることになった。ラジオたんぱの「どんなもんだハウス!」という番組だ。

現場に行ったら、聖飢魔IIのデーモン閣下もいた。お互いの出で立ちに目を見張る。

「ラジオだから張り切った格好はしなくていいですよって言ったのに!」

バッチリ正装を決め込んだデーモンさんとジャガーの横で、みうらさんがゲラゲラ笑っている。

それに対してデーモンさんと一緒に口を揃えて、「これが真の姿なのだ」「JAGUAR星人はこれが皮膚だから」と、言うと、「ああ、そうでしたね。失礼しました。むしろ自分が普通の地球人の姿であることにドキドキしますよ」。

みうらさんはとてもうれしそうだ。たしかに当時、こんな見た目をしていた存在は、デーモンさんとジャガーくらいしかいなかった。そりゃこの二名を対面させたくなるだろう。

こうして南極まで届く短波に乗せて、デーモン閣下VSジャガーという生放送が始まった。