「女子には試合をさせるな」が一人歩きして
山口 でも中学生になると、男の子が急に強くなるんです。やっぱり体つきや体力が変わってきますからね。「ああ、もうダメだな」と思っていたら、女子だけの試合が始まったんですよ。「私のために試合をつくってくれた」というくらい、いいタイミングでした。
酒井 それまでは試合がなかったんですね。
山口 当時は「女だてらに柔道」という時代でしたから。女子の大会が開かれるようになったのは私が中学生のときからです。でも、嘉納先生は明治15年に講道館を創設し、その約10年後には女性にも門戸を開いていたんですよ。
体育の重要性を感じ、「大いにやりなさい」と。ただ、それまで女性はスポーツの習慣がなかったので、まず食事やトレーニングで体をつくらせ、それから、ようやく柔道の実技を教えたんです。
酒井 そもそもは女性のことも考えられていた。
山口 試合については、本気になるあまりケガをしたのでは本末転倒。それに、当時の状況として女性の試合は見せ物的になりがちです。それで先生は試合は控えなさいと言っていたのが、亡くなったあと、その本意が抜け落ち「女子には試合をさせるな」という部分だけが残って伝わってしまったという経緯があるんです。
酒井 相撲で、女性は土俵に上がっちゃいかんというのがありますが、そういうことではなく、健康上の問題、あるいは興味本位を案じてのことだったんですね。