なぜサラ金は貧困層に金を貸していたのか

サントリー学芸賞を受賞した『サラ金の歴史』(中公新書)では、1960年代に生まれたサラ金の歴史を、その前後の時期も含めてたどってみた。対象とするのは、1910年代から2020年までの約100年間である。

『サラ金の歴史―消費者金融と日本社会 』(著:小島庸平/中公新書)

この100年あまりの間で、金融機関は極めて簡単に個人へ金を貸すようになった。

現代の日本では、生活費の確保に苦しむ貧困層でさえ、簡単に金を借りられる。たとえば、日本弁護士連合会(日弁連)は、生活費の不足から多重債務に陥り、ホームレスとなった大阪府の横山克郎さん(仮名)について、次のように報告している。

「フルタイムで働いても家庭を維持するだけの収入を維持することが困難であった横山さんが最初に頼ったのは、公的扶助ではなくて消費者金融であった。横山さんにとっては、消費者金融のみが自分の窮状を救ってくれる存在だったのである。」(日本弁護士連合会2007)

こうした事実に基づいて、日本の公的扶助の不十分さはしばしば批判される。生活保護をはじめとするセイフティネットがきちんと整備されていないから、貧困に苦しむ人びとがサラ金を利用せざるをえないのだ、だから公的扶助を拡充するべきである、と。

確かに、窓口で申請者を追い返すことが推奨されるような生活保護行政は、是正されねばならない。しかし、ここでは少し問い方を変えてみたい。

そもそも、なぜサラ金は、横山さんのような低所得者に金を貸したのだろうか。営利を目的とするサラ金だけが、貧困に陥った個人の窮状を救ってくれる存在だったというのは、よく考えてみると相当に奇妙な事態ではないか。