それでも先生がまず私に聞かれたのは、3年前に101歳で亡くなった母のことである。
先生はほぼ同世代の、母のことをとても気にかけてくださっていた。戦前、田舎の女学校から東京の学校へ進学した経緯、幼ない頃から文学少女だったことなど、ご自分と重なる部分があると思われたのだろう。
もちろん母には、なんら才能もなく、筆で身を立てていこうという気概もなかったのであるが、死ぬまで寂聴先生を尊敬し、歌にも詠んだ。自分の娘が可愛がっていただいていることを心の底から喜んでいた。
母が亡くなった時には、先生にねんごろなことをしていただいた。初盆の提灯が届けられたのであるが、の細工や塗りなど、ちょっと見たことがないほど立派なものであった。
「それで、お母さんはどうだったの」
とお聞きになったので、
「よく頑張ってましたが、百歳過ぎたらやはり呆けましたね」
と申し上げると、やっぱりねぇ! と頷かれたのが強く記憶に残っている。
先生が亡くなってからというもの、たくさんの報道がされた。私も出来る限り追悼文を書いたり、テレビに出たりしたのであるが、もどかしさが残るばかりである。
誰も、そして私も先生を伝えきっていないという思いがある。