『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』(著:サヘル・ローズ/講談社)

いじめられてることは見せたくない

人間はネガティブになりやすいし、人の悪いところは目につく。

でも、「この人のここ苦手だなぁ」と思っていてもそれはアナタの角度から見たその人。大事なのは粗(あら)を探す視線ではなく人の個性を認められる視点を持てるか。

中学時代、いじめが激化していても、恥ずかしかったり、プライドや心配もかけたくなかったので親や大人には相談できずにいました。よく、なんで「気づけなかったんだろう」と後悔の言葉を耳にします。

気づけないと思います。

なぜなら「見せたくないから、私たち、いじめられてること」。

だからこそ、もし、もしもね、今、クラスで仲間はずれに遭っている人を見かけたらそばに行ってあげて欲しい。もし、その子に何かあったときではもう、遅いんだ。あのとき、ああすればよかった。と必ず思ってしまう。

人はいつも後悔して生きていく。でも後悔は減らしたい。だからこそ、思ったときに正しい判断をして欲しい。

私も本当に孤独でね、気づいてくれているのに手を差し伸べてくれなかった同級生たちは、私にはイジメっ子たちの一員に映っていたから。

帰り道、泣いて、CDを買うお金もなかったから、テレビから流れる当時流行っていた音楽をカセットテープに録音して、その音源をひたすらリピートして聴いていた。

周りはルーズソックスが流行り、みんなと違うことが当時のコンプレックスだったので、100円ショップでルーズソックスを買い、ソックタッチは高くて買えなかったので、普通の工作用の糊(のり)を買って、必死にみんなと同じになろうとしてたんだ。

友達の数に囚(とら)われていた。トイレに行くのもひとり。私とペアになってくれる人もいなくって、体育の授業も地獄でしかなかった。

特に中学2年の時に流行った遊びが

「~~菌」

つらかった、私、人間なのに。どうしてバイ菌扱いなの?と。

それはコロナが蔓延(まんえん)している現在でも、やむを得ず感染してしまった方に対する偏見や差別等のいじめも心配です。

きっと、「~~菌」と言われて傷ついている人はたくさんいらっしゃると思います。