莉瑛さんの病気発覚後、みんなで坊主頭に(大久保嘉人さんのInstagramより)

家族全員が同じになればいいとバリカンで頭を丸め

莉瑛 すぐに長男を授かり、日本で出産することに。臨月の時、あなたもオフで日本にいたけれど、スペインへ戻る期日が迫ってくると焦ったのか、「早く産めよ」って。私は初産で不安いっぱいなのに、「なんてひどい言葉」って大泣きしましたね。

嘉人 確かにひどい……。でも、子どもにどうしても会いたかったんだよね。

莉瑛 だから出産を報告したらすぐ、合宿先のオーストリアから1泊2日で会いに来てくれた。

嘉人 長男の出産には立ち会えなかったけど、次男、三男、四男の誕生にはすべて立ち会った。僕だけでなく、息子たちも弟の誕生には立ち会っています。

莉瑛 私が痛みと闘っている時、息子たちは「頑張れ、頑張れ」って。息子たちを出産に立ち会わせたのは、自分もこうやって生まれてきたことを知ってもらいたかった。新しい命が誕生するたびに家族がリニューアルすること、そして将来何かあった時に、互いに助け合う絆が生まれればいいなって。

嘉人 ただ、三男の後に流産した時は、かなりきつかったね。抗がん剤治療もあったし。

莉瑛 奇胎後hCG存続症という病気だった。がんではないけど抗がん剤による治療が必要と言われ、ショックで。泣きながら家に帰ったら、あなたと3人の子どもたち全員が丸坊主になって迎えてくれた。もう笑うしかなかったわ。

嘉人 練習場に莉瑛から電話があり、治療のことを聞いて髪が抜けるだろうと思って。それなら家族全員が同じ頭になればいいと。僕はすぐにクラブハウスにあったバリカンで頭を丸めた。家に帰ってすぐ、息子らに「お前らはどうする?」と聞いたら、3人とも「ママが元気になるならやる」って。おしゃれ心が芽生えた今だったらやってくれないだろうな。

莉瑛 幸いにも治療が成功し、2年後に妊娠が判明。その時なぜか何の根拠もなく、「女の子だ」って2人で大喜びしました。でもしばらくして胎児の画像を見たら「下についている」と。でも病後のことでもあり、元気に生まれてくれればそれでいいと思いましたね。

『俺は主夫。職業、現役Jリーガー』(大久保嘉人:著/講談社)