W杯やオリンピックで活躍し、Jリーグでは史上初の3年連続得点王に輝いた大久保嘉人さん。2021年に現役を引退、4月からはスポーツ番組のMCを務める大久保さんですが、現役時には、当時小4だった息子と一緒に単身赴任をしています。濃密だったその期間を振り返りつつ、自身の子育て論を妻の莉瑛さんと語り合いました。莉瑛さんが流産、抗がん剤治療を受けることになり、息子たちとしたこととは? 今年から月刊化、好評発売中の『婦人公論』4月号より特別に記事を公開します(構成=吉井妙子 撮影=藤澤靖子)
「もう無理」と思った時も
――嘉人さんは、小学校卒業後に親元を離れ、長崎県国見町の国見中学校に進学。サッカーの名門と言われる長崎県立国見高校で頭角を現し、3年生の時には、高校三冠を達成した。一方、莉瑛さんの実家・林田家もサッカー一家で、父は嘉人さんが中学時代ライバルだった学校の監督だったという。
嘉人 莉瑛の弟が僕の高校の1年後輩。莉瑛より先にお義父さんや義弟を知っていたわけ。周りから、林田の姉は鈴木亜美似で可愛いと聞いていたけど、高校時代はプロになることしか頭になかったので、興味もなかった。ちゃんと付き合い出したのは、2001年にセレッソ大阪に加入したあたりから。
莉瑛 私は福岡の短大生で遠距離だったから、何度も別れようと思った。あなたはその頃遊びまくっていたしね。喧嘩するたびに「改める」と言っていたけど、それ自体、遊んでいることの裏返しじゃないですか。
嘉人 ……(苦笑)。高校時代にサッカー漬けだったので、一挙に華やかな世界の扉が開いた感じで。その頃、先輩たちはみな遊んでいたし……。
莉瑛 もう無理と思った時もありましたけど、お義父さんに止められて。でも就職した全日空で大阪勤務になり、近くに住んだことであなたの遊びも控えめになったかな。
嘉人 スペインのマジョルカに移籍が決まり、それを機に結婚。22歳の時でした。