皇太子の狼狽

正田家の箱根行きは、美智子、両親、兄の4人で、結婚問題を話し合う重要な場であった。

朝日新聞記者の佐伯晋は、箱根で美智子への直接取材に成功する(11月3日)。そこで次のような言葉を引き出す。

私がどんな方とごいっしょになることになっても、それはその方自身が、ほんとうに私の結婚の理想にあてはまる方だからということです。私はこれまで私なりに結婚の理想や、理想の男性像というものをもってきました。その理想を、ほかの条件に目がくれて曲げたのでは決してないってことを……。 (『朝日新聞』1958年11月27日夕刊)

微妙な物言いだ。明仁皇太子と結婚してもいいという意思表示にも聞こえる。かなり心は揺れ、少なくとも以前の絶対拒否の態度からは軟化している。この箱根会議では、父英三郎(ひでさぶろう)のほか、兄が、なお慎重な考えを示し、結論が出なかった。

明仁皇太子は11月3日、箱根から帰った美智子さんに連絡を取ろうと織田に取り次ぎを依頼する。しかし、美智子さんは疲労のため電話に出られなかった。「織田和雄日記」(11月3日条)には、「夜チャブ電話するがミッチつかれて出ず。処置に困る」とある。チャブとは、皇太子の愛称である。久しぶりに話ができる機会が失われ、皇太子の狼狽ぶりがわかる。

翌日(11月4日)朝、美智子さんから織田に電話があり、織田は「殿下〔明仁皇太子〕にお手紙をお渡ししたい」と伝えられた。手紙には、直接会って話し合いたいという内容が書かれていたと考えられる。電話での話し合いには限界がある、と美智子さんは伝えたかった。

余談となるが、相手の声が受話器を通じて伝達される電話コミュニケーションは、耳元でささやくような独特の親密感が生まれる。対面よりも実は説得効果が高いことは、社会心理学者たちが実証している。