「イエスと言ってください」

いずれにしても、明仁皇太子と美智子さんが直接会うことは「種々の障害」(徳川義宣寄稿)のため実現しなかった。その代わり、11月5日夜、黒木が正田家を訪ねた。皇太子の気持ちを間接的に伝え、反対の気持ちが強かった父と兄に説明したのである。

その後も、明仁皇太子と美智子さんは電話での話し合いを続け、遅くとも11月7日には美智子と正田家は婚約受諾を決めた。

美智子さんは、「公的立場を守らねばならぬから〔あなたを〕守りきれないかもしれない」と皇太子から伝えられ、その正直さに「心を動かされたし、自分が行かねばならないと思う様になった」と、のちに自ら説明する。美智子さんは「イエスと言って下さいと強く言われ、イエスとなった」と説明する(『天皇陛下のプロポーズ』)。

美智子は11月8日に世話になった竹山謙三郎に結婚の報告に行き(『サンデー毎日』12月7日号)、同じ日、母冨美が朝日新聞の佐伯に結婚を認めた(「正田家を見つめて六ヵ月」)。

明仁皇太子が電話で「何回も」説得したと、多くの「美智子さま本」では描かれる。だが、美智子の婚約承諾までの電話は10月27、28日の2回、さらに正田家の箱根行きのあと、11月4、5、6、7日の4回、合わせると計6回だ。回数としては多くはない。

ただ、6回の電話説得で、美智子さんの態度が一気に変わったのは間違いない。二週間前の日本までの機上で毎日新聞記者に強い拒絶の気持ちを話した状況を考えると劇的な転換である。

※本稿は、『天皇家の恋愛-明治天皇から眞子内親王まで』(中公新書)の一部を再編集したものです。


天皇家の恋愛-明治天皇から眞子内親王まで』(著:森暢平/中公新書)

明治天皇まで多妾が容認された天皇家は、いま一夫一婦制、子どもを家庭で養育する近代家族へと大きく変わった。これは、恋愛から家族をつくった戦後の明仁皇太子・美智子妃によるとされる。だが、それ以前から天皇家は、三代の皇后を始め多くの皇族たちが、近代家族を目指し、その時代なりの恋をしていた。本書は、明治以降、上皇夫妻や眞子内親王まで、天皇家150年に及ぶ歴史を、数々の恋愛から描き出す。