電話での説得

絶望的な状況を打破するのは、たしかに明仁皇太子の行動である。

結婚前に開催したサヨナラ・パーティーで友人らと語らう美智子さん。1959年04月05日撮影(読売新聞社提供)

 

断りの手紙を受け取った事実を聞いた徳川、大久保らの親友は、皇太子に対し、「電話で美智子さんと話しなさい。それが残された最後の方法ですよ」と伝えた(大久保忠恒証言)。

こうして、美智子さんの帰国後から電話説得が始まる。帰国の翌日(10月27日)、皇太子は織田に電話をして「正田さんのところへ電話をかけて、僕のほうに直接、電話をしてくれるように伝えてもらえませんか」と依頼した。

さらにその翌日、皇太子は、織田に東宮仮御所まで来てもらい、「正田美智子さんを皇太子妃に迎えたいので、君に電話の取り次ぎを頼みたい」と直接伝えている(『天皇陛下のプロポーズ』)。

この10月28日の電話がもっとも重要だった。別室で待機する織田は、明仁皇太子が電話を終えたあと、頬(ほお)を赤らめて「話しちゃったよ」と印象的な言葉を発したと記憶する(織田は、この出来事を11月8日と記すが、記憶違いである)。

実は、このあと、明仁皇太子と美智子さんは6日間、電話をしていない。

皇太子は10月29日、兵庫県入りし、同県を視察する。帰京するのは11月2日朝であった。入れ替わるように、美智子を含む正田家は、11月2日から箱根の富士屋ホテルに出掛け、翌3日に東京に戻る。10月29日〜11月3日の6日間、二人は物理的に連絡を取り合う環境にはなかった。