拒否の手紙と小泉の説得

正田家の答えは拒否である。それも、娘を外国に出し、物理的な接触を取れないようにする強い拒否と言ってもいいであろう。

これを覆したのは、明仁皇太子による電話での説得だと語られる。ただ、彼の独力だけではないことは、もっと注目されるべきだ。

選考チームは、出発直前の美智子さんに、明仁皇太子からの手紙を渡そうとした。これは、皇太子の学友を通じて美智子に届けられた。ここに選考チームが関わったことは、「鈴木菊男日記」(8月31日条)の「黒木君から電話(お手紙の件)」との記述から確認できる。

選考チームはさらに粘り強く動く。黒木は9月18日に正田邸を訪問し、小泉も9月26日、やはり正田邸を訪れる(藤樫準二メモ)。明仁皇太子の気持ちを伝えるきわめて強い促しであった。

小泉は10月7日にも、美智子さんの母冨美に会った(「鈴木菊男日記」)。ここまで強く説得されると、正田家も拒否一辺倒とはいかなくなる。オランダのハーグに滞在する美智子さんを国際電話で呼び出し、宮内庁からの要請を伝えた。

これに対し美智子さんは、辞退の手紙を書く。東宮侍従の黒木はのちに次のように記した。そこには若い一人の女性が良心の限りを尽くして考えぬいた結論がつづられており、ご自分がその任に耐えぬことが曖昧にではなく、精一杯に記されてあった。殿下を敬愛なさり、誠実なお付き合いを続けて来られた方であればこその、それは誠意に満ちた文面であり、殿下に召される資格を欠くご自分を深く恥じわびられていた。 (黒木従達回想)

拒否の気持ちをあらためて伝えたのである。親友のひとり、大久保忠恒はこのころ、明仁皇太子から「ことわられたよ」と聞いている(大久保忠恒証言)。