経験がたましいを成長させる
食堂については、まずお父さんがどう思っているかが大切です。なぜなら食堂はそもそもお父さんのもの。エンディングノートに自分の希望を書き残すのと同じで、それはお父さんの責任主体なのです。
それを「叔母の言いなりになっている」と思うのはあなたの解釈であり、「私だって手伝っていたのに」というのは自己憐憫です。もし、お父さんが叔母につけ込まれて困っているというなら、弁護士に相談するなど、理性的な対応が必要でしょう。
こうした理性的、法的な対処をし尽くしたうえでならば、逆に「もうやるだけのことはやった」と思えるはず。責任主体で生きると覚悟して叔母を見限り、血縁に縛られない生き方を選択していいのです。
家族や親戚が同じ地域に住み、子どもたちも同じ地域で仕事や結婚をしている状況だと、すべての悩み事が結びついているように感じます。でも、それさえも思い込みという可能性が。そういうときは「自分は狭い社会のなかで生きている」という自覚を持ち、視野を広げる努力をしてみてください。
「自分は悪くないと思っているけれど、本当にそうだろうか」と自身を省みたり、「自分で勝手に結びつけているだけかもしれない」と、俯瞰して見る習慣をつけるようにしましょう。
自己憐憫、依存心、責任主体という3つのキーワードからものごとを分析するだけでも、複雑に絡み合ったように見える悩みがシンプルに解けるはずです。
ひとつだけ厳しいことを言いますが、難聴だから接客に向かないと思っているとしたら、それは自己憐憫。耳の不自由な方が筆談でお客さんとコミュニケーションを取り、それが評判となっている人気店もあると聞きます。自己憐憫を捨て、ほんの少し見方を変えれば、不幸に思えることも幸せの種になるのです。
この世はスポーツジムのようなもの。負荷をかけて筋肉が鍛えられるように、経験と感動を重ねてたましいも成長するのです。自分の目の前にある悩みや問題は、そのために取り組まねばならないトレーニングのようなものですが、必ず乗り越えられます。
たましいを鍛えるためのバーベルはいきなり重くなったりしません。ちゃんと自分に合った負荷が用意されていますから、安心して目の前の問題に取り組めばいいのです。
もちろん、更年期などで体調がすぐれないときは無理することはありません。人生にはバイオリズムというものがあり、次の活動に向けての準備期間も必要だからです。そんなときは焦らず、落ち着いて現状を整理したり、広い視野が持てるよう自分を見つめ直したりなど、静かな内観の時間を過ごしましょう。