錯綜するミッション

政府が、まず80歳以上の高齢者にはPCR検査を受けさせるという方針を示した。そのために、自衛隊は途中から、そちらに専念することになった。

『命のクルーズ』(著:高梨ゆき子/講談社)

政府としては、陽性ならもちろん下船して入院してもらうが、陰性であっても80歳を過ぎた高齢者は、用意した宿泊施設に移ってもらうという腹づもりがあり、検査を急いだ。船室に閉じ込められているよりは、多少はリラックスできる環境を提供できると考えたようだ。

船側からも、また別の強い要望があった。

船長の意向で、次の出港までに、とにかく陽性者は全員下船させてほしい、というのである。感染がわかっている人を乗せたまま外洋に出るよりは、できるだけ感染拡大のリスクは取り除いておきたいということか。

船内に入ったばかりの中村は困惑した。

「僕たちの考え方としては人命優先なので、陽性でも元気な人は後回しになります。症状の重い人、それから高齢で基礎疾患のある人を優先的に出したい。だけど船長としては、早く陽性の人を出してくれという。それもわかるんですが、優先順位は必要なので、難しくて―」

船の中でのトップはあくまで船長だ。その意向は尊重せざるをえない。あちらも、もともと午前9時の予定を正午までに延ばしていた出港時間を、さらに午後6時まで遅らせてもいいという。

それならば何とかなるかもしれない。カテゴリーIはもちろん、80歳以上の高齢者や、カテゴリーIIIの無症状または軽症の陽性者まで―。

さまざまな考え方を統合した結果、11日、下船予定者は計73人にも膨れあがった。しかし、それだけの人数となると、限られた時間に受け入れ先を見つけきれないので、症状のない陽性者は行き先が決まる前に下船させ、埠頭のかまぼこに急遽待機スペースがつくられた。

船内に居合わせた別の支援者たちは、こんなことを感じていた。

「常に人が足りないなかで、ニーズは多い。でもコーディネーションがうまくいっていなくて、全体の統制がとれていない」

「誰かがもっと強い権限をもって、指揮命令できないものなんだろうか」

「誰の指示で動けばいいのか、どうもよくわからない―」

トップは、形としては現場責任者とされていた厚労副大臣の橋本である。しかし、その橋本本人でさえ、現場で活動する多くの関係者に対して、自分の指揮権がどこまで及ぶものなのか、終始迷いを抱えたままだったことをのちに明かしている。政府中枢と現場との温度差に悩んでもいたようだ。

DMATの判断と、政府、そして船側の意向が錯綜していた。