初戦の先発を誰にするか

21年の山本はチームで開幕投手を務めるなど、エースとして好調を維持したまま五輪を迎えました。それでも私としてはプレミア12と同様に、試合の終盤を任せたいという思いが強かったのです。

ただ、先発の1人として期待していた菅野智之(巨人)の代表辞退などもあり、山本は先発で起用することにして合宿に入りました。

私はずっと、初戦の先発は田中がいいと思っていました。

「復興五輪」を掲げた大会の初戦の会場は福島ですし、11年の東日本大震災当時も楽天の選手でしたので、東北への思いは当然、強い。そして今回の代表メンバーの中では唯一、私と共に08年の北京五輪でメダルを逃した悔しさを味わった選手です。

米大リーグ・ヤンキースから楽天に復帰した際の記者会見でも、「選ばれるのであれば断る理由なんてないし、出たい。北京五輪では悔しい思いをして終わっている。自国開催だし、金メダルを取りたい」と出場に意欲を示していました。私と思いを同じくする「同志」でもあります。

もちろん短期決戦での強さも証明済みです。

ヤンキース時代の17年、ア・リーグ地区シリーズでは2連敗後、負ければ敗退という第3戦で7回無失点の快投でチームを勝利に導きました。惜しくもワールドシリーズ進出は逃したものの、辛口のヤンキースファンからも、プレーオフに強い選手という意味で「ミスター・オクトーバー」と呼ばれました。

ただ会議では建山(義紀)コーチをはじめ、「初戦は山本で」という意見が主流でした。

「初戦は一番信頼できる投手を送るべき。山本でいきましょう」

「初戦に登板すると順当なら中6日で準決勝に投げられる。重要な2試合を託すのは山本が適任」

――もちろん、私も山本が今、日本のナンバーワンの投手であることに異論はありません。

「山本でいきましょう」

そう決断しました。

2戦目の対メキシコは森下。そして、日程や相手が決まっていない3戦目は田中、3戦目に敗れた場合の4戦目は大野。

登板日が直前まで確定しなければ、相手も分からないという難しい調整を強いられるその2試合は、投手陣最年長で経験豊富な田中と大野に任せることにしました。