「言い争いはするものの、心の奥底に秘めたものを、どこまでも明らかにしない家族だったのです」

つい情にほだされて

――目指す方向性の違いからか、やがて揉めごとが絶えなくなり、88年に離婚。「状況劇場」も20年以上の歴史にピリオドを打ち解散する。同年、父・唐十郎さんは「劇団唐組」を結成し、再婚。87年に芸名の「李礼仙」の一文字を変えて李麗仙とした母は、活動の場をテレビや映画へと広げていく。


なぜ親が離婚し、状況劇場が崩壊していったか、僕のなかでは知っていても言えないことがあるのですが、ともかく二人とも本当に芝居が好きで、好きで、それ以外は何もできない不器用な人間だったということです。

芝居や芸への思い、そのいちばん底にあるマグマみたいな原動力について、父は何も語らない。母も、自分の体を切り刻むようにして芝居をする人だったけど、なぜ、そうまでして演じるのか、やはり語らない。僕も聞こうとしない。言い争いはするものの、心の奥底に秘めたものを、どこまでも明らかにしない家族だったのです。

僕が高校1年のとき、父が脚本を書いたNHKのドラマに出たことがあったのですが、そのときも母は「プロのステージなんだから真面目にやんないとダメよ」と、一言ポロッと言っただけ。大学在学中に映画に出演し、僕が本格的に俳優の世界に進むことになったときも、何も言いませんでした。

それぞれが、自分の好きなように生きていけばいい。そうして別々に暮らしていた母に、「二世帯住宅を建てようか」ともちかけたのは僕からです。母は60歳を過ぎる頃でした。少しずつ迫りくる母の老いに、つい情にほだされたと言いましょうか。2002年当時、僕は最初の結婚をして子どももいましたが、玄関は別々で1階が母、2階が僕一家という、完全分離の二世帯住宅で暮らすようになったのです。

とはいえ僕らは基本的に、和気あいあいの仲良し親子ではありません。似ているところがあるのか、5分も話せばカチンときて、1週間くらい会わないことはしょっちゅう。そのうち「大丈夫かなぁ」と気になって顔を合わせ、また5分話してケンカになって「じゃあバイバイ」。そんな日常でした。