役者の醍醐味となる意義を積み重ねる

『おいしい給食』はとても抜け感のあるコメディですが、コロナ禍もあって、大衆に向けたエンターテインメントの重要性をより感じました。この作品をすごく好きだと言ってくれる、学校に行けなくなった小学生のお子さんがいらして、甘利田幸男先生として手紙を書いたら、「また学校に行けるようになりました」と涙を流しながら喜んでくれている姿を見て、僕も涙を流してしまいました。役者の醍醐味って、そこにあるんだなって。

映画なんて、役者なんて、ドラマなんて、舞台なんてなくても成立する商売なんです。生きるために必要な衣食住に入っていない。ではなぜ役者が存在するのか、なぜ映画が存在するのか。その意義を一つひとつ、積み重ねていかなきゃいけないと思います。この作品は完全にオリジナル作品ですので、0から1を作る難しさを痛感しながらも、オリジナルの役ができる喜びもありました。

脚本の中に余白があり、現場の芝居でのたくさん遊びの部分を作ってくださっています。10人いたら10通りの甘利田ができると思うのですが、僕だったらどんな甘利田になるかの挑戦でした。「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、日本だけにしかないもの。役をまっとうすると同時に、文化もしっかりと大切にしています。

今回こうして第2弾の映画ができるということは、この作品のファンになってくださったお客様のお気持ちの賜物でしかないですし、感謝しかないです。その声にしっかりと応えることだけを考えて、ずっと現場に立っていました。監督も初日で声が枯れるほど気持ちが入っていましたし、僕も前日は寝られなかったです。どんなにハードな感情芝居よりも、どんなに保険をかけて撮るアクション作品よりも、一番ハードな現場でした。

フィジカルもメンタルも芝居の為に整えている市原さん(撮影=初沢亜利)