1968年、6歳の頃の良純さん(一番右)。両親ときょうだいとともに逗子の家の庭で(著書『石原家の人びと』より)

父の痛烈な生きざまを目の前で見て

そんなこんなで、40年近く芸能界という世界にいます。20代より30代、30代より40代、40代より50代……とどんどん楽しくなっているから、幸せなんじゃないかな。本当に出会いや偶然の連続でやってきました。ここ20年くらいはとにかく来る球を打ち返してきたけど、コロナで少し考える時間ができた。そんななかで、父親と母親が亡くなったわけです。

僕は父親の痛烈な生きざまを、目の前で見てきました。ものすごいエネルギーで書き続けてきたでしょ。自分が60になって、親父みたいにあと30年は生きないにしても、最後の4分の1の折り返しなんだなと改めて意識しました。自分がちゃんと生きてきたのか、これからどうするのか、今、本当に突きつけられていると思いますね。

父が亡くなって最初の晩、お骨を預かってきたんですよ。うちの奥さんが「お義父さん、いつもだったら『飯はまだか』とうるさいけど、今日はさすがに静かでさみしいわね」なんて言って、献杯とかしてるうちに、俺はコロッと寝ちゃった。

そうしたら夜中に、バーッとすごい雷が鳴って、家が揺れて。うわ、これはうちに落ちたなと思ったら、夢だったんです。親父のエネルギーがあり余って、夢の中でも雷になってやってきたのかな、とびっくりしてしまいました。

よく「石原家に生まれて何がよかったですか」と聞かれるけど、天才にはいっぱい会う機会があった。僕の思う《天才》は、労を惜しまない人なんですよね。自分の父親を天才というのも変だけど、いつでも書斎に入ってものを書いたり本を読んだりしていました。集中力が並大抵じゃないし、努力を努力と思わない。そこは素直に尊敬していました。

俺に真似できるかって? できるわけないですよ(笑)。俺は限りなく凡人道を突き進みます。