「いまだに舘さんから電話があったら、座っては取れない。『もしもし』って立ち上がっちゃう。座ったまま、『ああ、舘さんですか』なんてやれないのよ」(撮影:大河内禎)
朝の情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』や『ザワつく!金曜日』などのバラエティー番組で、見かけない日はないほど活躍中の石原良純さん。父は作家であり政治家としても活躍した故・石原慎太郎さんだ。叔父は昭和の大スター、故・石原裕次郎、兄と弟は政治家、末弟は画家である。日本一有名な「石原家」に生まれ、政治でも芸術でもない道を歩んだ良純さんとはどんな人物なのか。インタビューを申し込んだ矢先、両親の訃報が相次いで飛び込んで──(撮影=大河内禎)

<前編よりつづく

石原プロを出てバラエティーに開眼

人生というのは、出会いや偶然で転がっていくものだと思います。僕の仕事のスタートもそう。叔父の石原裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れて、入院先の慶應義塾大学病院に見舞いに行ったんです。芸能マスコミが盛んだったから、大勢のカメラマンがいて、写真を撮られて。それが芸能界とのファーストコンタクトですよ。

ちょうどその時、石原プロにゆかりのあるプロデューサーが映画の企画を準備していて、「やりませんか」という話になった。『凶弾』という映画で主演デビューしました。もしも石原裕次郎が倒れなかったら、もしも何年か遅くて僕が就職していたら、機会は訪れなかった。たまたま大学生でその物語に適している年齢だったから、やることになったわけです。

その後、石原プロに入り、渡哲也さんや舘ひろしさんに出会いました。石原プロは昭和の体育会系で、極端なところだったと思う。先輩がカラスは白いと言ったら白いし、飲めと言われたら飲む。それが俳優にとって必要かどうかはさておき、僕のキャリアはそこから始まって、その中で吸収するものはとても多かったんです。

いまだに舘さんから電話があったら、座っては取れない。「もしもし」って立ち上がっちゃう。座ったまま、「ああ、舘さんですか」なんてやれないのよ。でも同時にね、もしも舘さんに「金貸してください」と頼んだら、理由を聞かずに1億円くらいは貸してくれるんじゃないかな。そういう先輩に会えたってことです。