家にお金を入れて一人前という環境
東京で派遣社員として働くマリコさん(30歳・仮名)は、近畿地方の低所得層が多く住む町の母子家庭で育った。長距離トラック運転手だった父は、彼女が3歳のある日、理由は定かではないが職場から逃げ出し、それっきり家にも帰ってこなかったという。父は実家に身を寄せたが、その実家もまた生活保護を受けている貧困家庭。マリコさんの養育費が支払われることはなく、むしろ父親は離婚後も母や祖母に借金を重ねた。
マリコさんの母親は、介護施設の仕事と親戚が経営するスポーツ施設の受付を掛け持ちし、1日10時間以上働いていた。
「小学校の図書館で留学体験記を読み、海外で生活したいと思うようになりました。幼いながらに、貧困の悪循環に陥っている地元に息苦しさを感じ、違う世界への憧れを強くしていたのかもしれません」
海外で暮らすという夢のため、大学で英語を学ぶことを見据えて地域の進学校である私立高校受験を希望したマリコさん。家族に話すと、そんな余裕はないと反対されてしまう。
マリコさんの暮らす地域では、高校を出たら働いて家にお金を入れて初めて一人前、という考えが根強く、大学進学自体が珍しい。結局、家から通える公立高校に入学するも、その教育環境の悪さにマリコさんは頭を悩ませることになった。
「勉強する気満々で入学したのですが、早々に教師から言われたのは『お前ら、留年だけはするなよ』という言葉。そういうレベルなのか、と驚きました。授業中も、『お前らは、ファストフード店で一生安い給料で働いて死んでいくんだ』と何度も言われて。私も次第に勉強から遠ざかっていきました」
転機が訪れたのは高校3年生の春。学校で大学の説明会があり、そこで留学プログラムについて紹介されていたのだ。幼いころからの夢を思い出し、マリコさんは受験勉強を開始。
その結果、第一志望校には落ちたが、滑り止めの私立大学に合格。クラスで唯一大学に進学した女子生徒になり、大学では成績上位10%の選抜クラスに入った。学費は奨学金を借り、一人暮らしの費用は捻出できないため、往復4時間かけて実家から通い、課題をこなし、平均睡眠時間は3~4時間という生活が1年間続いた。
猛勉強の末、1年間のアメリカ留学の授業料、寮費、食費が免除される学内選考に合格したが、疲労が原因でメニエール病を発症。辞退せざるをえなくなってしまう。そして、追い打ちをかけるように実家の状況が急変していく。