「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、ライターとして活動をしているヒオカさん。上京してきたゼミの友人と行った水族館で(写真提供◎ヒオカさん)
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。第7回は「辛い過去と向き合える様になった理由」です。

父の幻影を見て、フラッシュバックした

自分は虐待されていたのだと自覚してから、しばらく精神的に不安定になった。

私は父親以外にも、体罰をする教師、パワハラを常習的にする上司にも随分苦しんできた。彼らはみな父と同じ中年男性で、声が野太く、些細なことですぐキレる。 

正当な理由なく怒鳴りちらし、当たり散らす。
そんな彼らに、私は父の幻影を見ていた。記憶が、フラッシュバックした。 

恨めしいでもなく、憎いわけでもなく。それなのになぜかわけもわからず泣き続けた。
そのことを医者に話すと、「苦しみを涙で溶かしていると思ったらいい」と言われた。
確かに、それが悪い兆候とは思わなかった。
長年放置した膿を取り除くためには、まずそこに膿があると自覚しなければならない。
そして取り除く過程は痛みを伴うのである。

今でも、男性の大きな声、イライラした声を聞いたり、眉間にしわの寄った顔を見ると動悸がして、全身が硬直する。

私が非正規雇用を転々とするようになったのも、男性上司のパワハラにより、会社を辞めたことがきっかけだった。日常的にキレられ、虫の居所が悪いと当たり散らされ、教育と称して怒鳴られ続けた。そんなある日体が動かなくなり、動悸が止まらず、息がうまくできなくなって、立てなくなった。

しかし、父を含め、私を悩ませてきた人たちは、自分のしてきたことを全く覚えていない。

それは細かく言うと2種類あって、本当に記憶がないのと、そもそも自分がしていることがどういうことか、気付いていないというものがある。
どちらにせよあとの振る舞いは同じで、平気で連絡してくるし、なんなら可愛がってあげた、くらいに思っている。