父親の存在は、心に刺さった釘のよう

去年だったか、父から大量の手紙が届いた。

読まずに部屋の隅に置いたが、いつだかその中の1通をあけたことがある。どれだけ私のことを大事に思ってきたか、そして私のことを案じているか、そして幸せになって欲しいと思っているかなどが書かれていた。
電話も何度もきたが、たまに出ると、なぜ出てくれないのか、と聞かれた。
そのうち私は出なくなった。

(写真提供◎写真AC)

父親の存在は、心に刺さった釘のようだ。
存在を思い出すと同時に、鈍い痛みが全身に走る。
顔を見ては、声を聞いては、心から大量のどろっとしたどす黒い血が滴り落ちる。

母に対して、なぜ子どもを暴力を見続けなければならない環境に置き続けたのか、と思うこともある。父と私たちを引き離してくれたら、こんなに苦しむこともなかったのではないかと。
でも、直接のDV被害者である母を責めるのも違う気がして、誰に、何にこの気持ちをぶつけたらよいか、わからずにいる。

医者に、長年続く体調不良の原因に、被虐待経験があると指摘されたことは、虐待されていたと自覚する決定打にはなった。しかし決して一つの出来事で瞬間的に悟ったわけではない。それまでに長く途方もない時間がかかった。
どこかでその事実に薄々気付いていたようにも思う。
医者には、「自分が虐待されていないと思うことは、自分を守るために必要だったのだと思いますよ」と言われた。

そう言われてみればそうだったのかもしれない。心や脳に、ストッパーがついていたようだ。考えないようにする、向き合うことを無意識に避け続けた時間が随分長かった。

自分が酷いことをされていた、という事実を認めることは、自分の存在を危険に晒すような、こわくて恐ろしいことだから。