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生活保護の受給で虐待からは逃れたが

滋賀県在住のユキさん(21歳・仮名)は、現在、生活保護を受給しながら暮らしている。

父親が母親に暴力をふるい、両親はユキさんが小学6年生の時に離婚。それから母の実家で、寝たきりの祖母、入退院を繰り返す祖父、そして妹の5人での生活が始まる。母親は祖父母の介護をしながら、施設で介護スタッフとして働いていた。

日々疲れ切った母親は、次第にユキさんに激しい暴力をふるうようになる。理由は、ユキさんが別れた父親に似ているからだった。

「夜中、家から閉め出されることはしょっちゅう。食事も別々にとるなど、ほぼ無視されているような状態でした」

母親が食事を用意してくれることはほとんどなく、ユキさんは援助交際をするなどして、自らの生活費を稼いでいた。

「男性と最初にかかわったのは小学5年生の時です。気持ち悪いけれど慣れてしまいました。お金を稼ぐための作業、という感じで割り切っていましたね」

ユキさんの置かれる環境は、日に日に過酷を極めていく。母親からあざが残るまで顔を殴られたり、背中をカッターで切られたりと、虐待は壮絶だった。傷を見た病院の関係者が児童相談所(児相)に通報。高校1年生の春休みに児相に保護される。しかし、そこで事件が起きた。

「児相の職員に、逃げないように押さえつけられた時、虐待されていた記憶がフラッシュバックして思わず暴れてガラスを割り、捕まってしまって……」

結局、学校から自主退学を迫られ、それに応じる形で高校を中退した。

「警察には何度か虐待の被害届を出すか聞かれましたが、母親も不安定で、精神科に通い大変そうだったし、なんだかんだ嫌いになれなかった。母親がいないと祖父母が施設に入れられ、家族がバラバラになってしまうのではないかと不安もあって」、届は出さなかった。

家に居場所のないユキさんは、大阪のガールズバーで働きながら深夜徘徊をしたり、橋の下で寝たりして、何度も警察や児相に保護されている。しかし、一時保護をされては家に帰される、の繰り返しだった。

「児童養護施設は常に定員オーバーですし、幼い子が優先なので16歳だった私は入れませんでした。職員は、『お母さんとうまくやって』と言っていました」