もしうちの師匠でなければ、と思うと

それで、第一の転機はですね。うちの柳朝師匠のところに入れたというのが大きいですね。もしうちの師匠でなければ、と思うと結構ぞっとするんですよね。

だって最終的には養子にならないか、って言われたんですから。それ断ったら、今度は親戚と結婚させようとしたり。

おかみさんなんか、僕が前座のころに「これからパリへ行ってきます」って羽田から電話したら、「無事に帰ってきておくれよ~」って電話口で泣き出したくらい可愛がられて。前座が三年目くらいのキャリアで寄席抜いて遊びに行くなんて、普通許されないことですが、「行って来い行って来い」って師匠がね。

 

五代目春風亭柳朝(1929~91年)は、談志、志ん朝、先代円楽と共に落語若手四天王と呼ばれた人。小朝さんは、70年4月入門、76年7月二ツ目、80年5月、25歳にして36人抜きで真打ち昇進。「横丁の若様」と評判だった。

――柳朝師匠がいいなと思ったのは、他の方が噺をいろいろ変えてたのに、師匠は変えずに面白かったから、子供ごころにいいなと思って。

生意気な子供でね、その上、着てる物の趣味がいいし、優しそうだし、テレビの大喜利に出てても面白いし。それで僕の親戚のテレビのプロデューサーから新宿・末廣亭の支配人を通じて、柳朝師匠に行きつくわけです。

おかしいのは、入門のときついてきたうちの母親は、胸が大きくて、師匠のタイプだったんですね。(笑)

あるとき師匠の鞄持ちでついて行くと、そこは歌舞伎町のクラブで、そこのママさんがうちの母親とちょっと似たような体形だった。帰りのエレベーターにはママさんと師匠と僕の三人だけ。そしたら師匠がいきなりママさんの胸の谷間に頭をうずめて、「ママ、ママ、ママ」ってやったんですよ。

何を僕に見せてるんだ、と思ったけど、それを僕がおかみさんに告げ口するかどうかを見てたんですね。後日、師匠が別の弟子を「あいつはおしゃべりだから」と言ったことがあって、師匠の秘密を漏らさない弟子でないといけない。あ、今、漏らしてますけどね。(笑)