こうしてさまざまな思い出とともに春が過ぎ、夏が過ぎ、気がつけば、マナが来て4度目の冬を迎えていた。この頃マナは、生きているのが奇跡的なほどの高齢になり、時には目の周りに炎症を起こし、体のあちこちに脱毛が見られ、後ろ足は細くなり、不自然な走り方をするように。

時を同じくして、横浜に嫁いでいた娘が、夫の転職に伴い東京のわが家のそばに戻ってきた。冒頭の1月15日、数日前からその日が来るかもしれないという予感におそわれるなか、毎朝必ず餌箱に向かってくるマナの姿がない。

マナが死んでしまったかもしれないと娘に電話をすると、すぐに駆けつけてくれた。ケージに手を入れ、まったく動かないマナを両手で抱きしめ、ボロボロと涙を流しながら名前を呼び続ける。

「ママ、まだ生きてるよ。糞で体が汚れてる。きれいにしてあげないと」。温かいタオルで体をふき、食べることも動くこともできなくなってしまったマナを交互に2人で抱きしめる。

私と娘が座るソファの間に、娘がマナのために買ってくれた真っ白なブランケットを敷き、マナを横たえた。「マナを挟んで女子会だね。マナは女の子だもんね」「そうね。ママとお姉ちゃんは、前みたいに他愛ない会話をしているからマナも聞いててね」。

少しして、そっとマナの表情を見た。「ママ」「うん、マナは逝ったね」。いたずらで茶目っ気たっぷりで可愛くて。それでも、とても気を使って私の休みの日に、娘と3人で集えた日にマナは逝った。「ママ、私、いい子でしょう」、あのピンクの鼻をくーんと上に向けて、きっと。


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