ウクライナに思いを寄せて「いま」を伝えたい
コロナ感染症対策のため、外出するのは2022年2月9日以来という岸さん。1951年のデビューから長く映画界で活躍したが、そのころとは「がらりと世の中が変わってしまった」と言う。
「変異株が猛威をふるうコロナという疫病、そしてプーチンさんの夢であるらしい〈ロシア大帝国〉を作るための無謀な戦い。そのなかで考えると、日本というのは特殊な国ですね。日本人は知識もあるし、報道を聞いて世界事情がわかり、分析力もある。でもそこで終わってしまうんです。海から離れた安全地帯ということもあって、まだ鎖国しているのではないかというくらいに、外を見ない。あるいは見て感覚ではわかっていても、行動には出ない」
とコスモポリタンの視点で、「愛する祖国」の日本人観を述べた。
1957年、24歳で映画監督のイヴ・シァンピ氏と結婚するためフランス・パリに渡って以来、40年以上にわたり海外暮らしを続けた。「女優であるにもかかわらず、世界の戦争や宗教という名のもとに起こる争いにショックを受けて」、各国の歴史や紛争に思いを寄せ、後にジャーナリストとして映像や執筆の仕事も始める。
パリでは1968年の五月革命のデモに巻き込まれ、同年「プラハの春」の亡命者を3ヵ月かくまったこともある。
このたびのウクライナの戦乱には、ことに胸を痛めている。シアンピ監督に同行して、あるいはジャーナリストとして、かつて旧ソビエト領やバルト三国を訪ねた経験から、次のように語った。
「ウクライナ人ってすごく強いと思う。国に対する愛と信仰を強く持っていて。一方で私はロシア人のことをよく知っているんです。書記長だったフルシチョフさんを訪ねた夫とともに、旧ソビエトの各地を回りました。その時に見たスラブ民族の優しさと明るさ、ユーモア、素朴な人の好さ。ウクライナ人も好きだし、ロシア人のいいところもいっぱい知っています。そんな人たちが戦うのは、すごくむなしいと感じます」
日本はアメリカの核の傘下に入って、のんびり構えていていいのだろうか? 平和的解決には、人間の知恵が求められる――などと、日々考えているという岸さん。
「私にとって最後の舞台」と意識する8月のトークショーでは、そういった考えや思いをつぶさに語りたいと意欲を示した。トークショーで得る報酬は、ウクライナの人々に寄付することを考えているという。