「戦後初の大関全員の負け越し」は回避
照ノ富士は、優勝賜杯を手にした後の土俵下のインタビューで、「横綱になった以上、(良い)成績を残さなくてはならない」とその責任を語っていた。
照ノ富士は初日に大栄翔に敗れ、6日目に前頭3枚目・玉鷲、8日目に隆の勝に負けて、前半調子が悪そうだったが、後半は力がみなぎってきて、さすが横綱だと思った。
殊勲賞は大栄翔(5回目)と隆の勝(初)、敢闘賞は佐田の海(2回目)が獲得した。
結びの前の7勝7敗の貴景勝と5勝9敗の正代の対戦は、物言いがついたが、貴景勝の勝ちとなった。貴景勝の根性により、「戦後初の大関全員の負け越し」という不名誉な記録は残さずにすんだ。
今場所残念だったのが9勝していた前頭6枚目・宇良が足首の怪我で14日目から休場したことだ。12日目、貴景勝は宇良をのど輪で土俵際まで追い詰めたが、宇良が回り込んで貴景勝の後ろで体を回転させて空中にいて転ばなかった。
その間に貴景勝は土俵から足を出してしまった。物言いがついたが、結果は宇良の突き落としの勝ち。宇良には「空中回転技」というウラ技があるようだ。今場所は技能賞の該当者がいなかったので、宇良に獲得してほしかった。
今場所は物言いが多かった。それだけ力士の実力が拮抗しているようで面白かった。
そして今場所は勝負審判の一部入れ替えがあった。審判として土俵下に坐った二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)の姿は迫力があった。しかし、NHK大相撲放送で二所ノ関親方のハイトーンで軽妙な解説が聞けなくなったのが残念だ。