――「OEMから脱却する」ということが当時継ぐにあたってのポイントだったのでしょうか?
松本 はい、やはりそうでしたよね。当時の下請け業は、問屋さんの名前が表に出るだけで弊社の名前は表に出ないわけです。その上、弊社のオリジナルブランドを買い叩かれ、すべてが割引商品みたいな扱いでした。
そういう状況はやっぱり良くないな、と。
どうしても有田焼の商品というのは作業に人手が多く要るので、高くならざるを得ない。
量産に重きを置いた地方のように安くも作れないし、ましてや海外ではもっと安く作ってたりもする。
そんな市場環境もあり「高く、付加価値をつけて、やっていかないといけない」と考えた場合にブランド化して付加価値を上げていくしか方法がなかったんです。
――過去のOEM先やしがらみを全て切り捨てていき、自社のブランド「アリタポーセリンラボ」に注力をしていった中で、もちろん周りの反発など多くあったかと思われます。完全に移行できるまでどのぐらい時間かかったのでしょうか?
松本 うーん、完全な移行はまだできてないですよね。伝統的な商品もあるし、地元の問屋さんとのお付き合いもあります。とはいえ、もう売上割合としては1割ぐらいですかね。
伝統的な商品そのものの売上も全体の1割から2割ぐらいかな。売上だけ見れば、ほぼ自社ブランドに移行しているようなものですよね。