焼き物の町、佐賀県有田町。その一角に店を構えるのは200年以上続く有田焼の窯元・「アリタポーセリンラボ」だ。今でこそ海外からひっきりなしにOEMの依頼が届く人気窯元だが、それまでの道のりは並大抵のものでなかったという。7代目当主・松本哲(弥左衛門)氏に、7代目を継ぎ、今に至るまでのストーリーについて聞きました。
――7代目を継いだ理由と、その当時の背景をお聞かせください
松本 有田焼は約400年続く伝統産業であり、途中でいろいろなことがあったけど、弊社も約200年、一応続いていました。日本の伝統産業すべてそうなんでしょうけど、有田焼自体が商売的には非常に難しいような状況になっていたんですね。
うちの会社は有田の中では規模が大きいほうなので、現場への影響力もある。うちが無くなったりしてしまうと有田全体の生産量が小さくなってしまうわけです。
自分が何とか頑張ってちゃんとしていかないと、本当に有田焼自体がなくなってもおかしくないな...という認識があって。せっかくこういう有田焼窯元の息子に生まれたんであれば、何とかしたいなという気持ちで継ぎました。
――今でこそ海外のOEM(他社ブランドの製品を製造すること)をたくさん受注していてらっしゃいますが、当時はいかがだったのでしょうか?
松本 当時は地元の問屋さんのOEMが多かったです。元々やっていた花瓶とか角皿とか弥左衛門シリーズといった伝統的な商品が当時は中心だったかな。
結構国内大手のOEMをやっていたんですけど、そこが倒産することになり、弊社も連鎖倒産という形になって、民事再生法を適用させるきっかけになってしまいました。その当時20億くらい売り上げがあったんですが、OEMの相手先からの売上が7、8億だったので。