「私は疲弊し、気づいたら音楽を心から楽しめなくなっていました。華やかな芸能界の中で、私こそが異邦人だったのです。」

心から音楽を楽しめなくなって

その頃、レコード会社ではあらかじめ一押しのアーティストを決めて、綿密な計画のもと、総力をあげて売り出すのがならわしでしたが、私は候補にすら入っていなかった。つまり期待されていなかったのです。

そのため何の準備もできていなくて、いきなり「来週、『夜のヒットスタジオ』の出演が決まったから」と告げられるといったありさまでした。昨日までお茶の間で見ていた番組に自分が出て弾き語りをしろというのですから、極度の緊張で顔も強張りますよ。(笑)

その後、リスボンでのアルバムレコーディングを経て、人生初となる大きなホールでのコンサートを迎えました。スポットライトを浴びる立場にどうしても馴染めず、不安と恐れでいっぱいでした。それでも、できない、つらい、なんて口が裂けても言えません。どんなに疲れていても、笑顔でサインし、明るく挨拶をする「久保田早紀」であらねばならない……。当時の私は、「こうでなければならない」と、がんじがらめになっていました。

一番困惑したのは、新聞や雑誌のインタビューを受けることでした。皆さん、私のことをプロとして扱ってくださり、質問も「音楽性について伺いたいのですが……」とか「次作の構想は?」といったものが多かったのですが、私は何も考えていなかった。それが情けなくて、本当は恵まれているのに、下積みの苦労のないことがコンプレックスでした。自信がないのでテレビ番組では居心地が悪く、孤独でもありました。

今にして思えばビジネスである以上、当然なのですが、新曲はどうするのか。もっと売れ筋の歌を作ってほしいというプレッシャー……。私は疲弊し、気づいたら音楽を心から楽しめなくなっていました。華やかな芸能界の中で、私こそが異邦人だったのです。

そんなとき、自分の音楽の原点って何だったかなと振り返り、なぜか思い浮かんだのが幼い頃に教会で聴いていた賛美歌でした。

車を走らせ、ふと目についた教会をのぞいてみると、ちょうどコーラスの方々が賛美歌を歌っているところでした。それは本当に心に染みわたるような美しい歌声で、歌詞に出てくる「愛」という言葉の奥深さに強く心を揺さぶられました。私は作詞するなかで「愛」という言葉を簡単に使っていたけれど、賛美歌には愛を祈る気持ちが込められていると感じたのです。